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宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

 言わずと知れた、日本童話の金字塔。学校に通いながら病床の母親との生活費を稼ぐジョバンニと、親友のカムパネルラは銀河鉄道に乗って天上へ向かう、という話。

 賢治は厳しく豊穣な自然や、それを侵略する人間文明をよく扱う。これは賢治自身の文明や身体への嫌悪があるだろう。誤解を恐れず書けば、自然アゲで人間サゲの文学だ(こんな言い方はしてはいけない)。

 「銀河鉄道の夜」は賢治の晩年の作である。改稿を繰り返しているから何が晩年の作で何が晩年の作でないのかは分かれるかもしれないがとりあえずのところで。
 賢治の童話はどこか苛烈だ。「なめとこ山の熊」における命のやり取り、「やまなし」での食物連鎖、「どんぐりと山猫」の断絶。摂理は幸福なばかりではないのだ。

 「銀河鉄道の夜」では、そのある意味で棘のような苛烈さが円熟しており、外界の冷たさや、人間文明との距離はあっても、断固拒絶の態度はなりをひそめている。鳥を捕らえ、ジョバンニの切符に驚く即物的とも言える感性を持った鳥取りにジョバンニは幸せを祈る。その瞬間鳥捕りは消滅する。作品世界に合わせるならば昇天というべきか。

 鳥捕りは物質の世界に生きており、恐らくは天上に向かうときでもそれは変わらなかったのだろう。だがジョバンニは損得勘定もなしに鳥捕りの幸せを願った。精神の価値を願われ、鳥捕りの魂は一段上に上がったのだ。

 また、このシーンでは、銀河鉄道とは何なのかが匂わされる。
 「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券です。こいつをお持もちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方たいしたもんですね」

 ジョバンニは三次空間から銀河鉄道に乗っているが、銀河鉄道自体は不完全な幻想第四次と言われる。
 三次空間は三次元すなわち現実世界であり、物質の世界である。その一段上の世界が四次、精神の世界である。不完全な幻想、という言葉から彼岸のシミュレーション、人工的な精神世界が銀河鉄道の道のりと言えよう。